某友人のオフィスは毎年、その場で職人さんにイベリコ豚を削ってもらいスペイン各地のワインを次々に開栓する「勉強会」と称するパーティに「参加費無料」で招待してくださるので、うわー太っ腹!と思ってしまう。
いざ、そういう会社と仕事ってことになると、そりゃあ、こっちもちょっとは「任せてください、がんばっちゃいますよ!」って前のめりになるんだよね。心理学でいう「返報性の原理」ってやつだ。
同じ理屈で、いつも口を酸っぱくしていうけど「楽屋の弁当はケチるな」。
出演者が「コンビニおにぎりで十分っす」とニコニコしてても、主催者は真に受けてはならない。ちょっと豪勢な美味しい弁当を手配するだけで「あっ!ここのお弁当おいしいんですよねー」「さすが!」と出演者の相好が崩れるのを、これまで何度も見てきた。一事が万事。弁当を笑う者は弁当に笑われる。おまえは何を言っているんだ
世の中には当方ほど食い意地が張っておらず、弁当など気にもかけない剛の者も多いとは思うが、なぜかミュージシャンのほとんどは、おそろしく食い意地が張った生き物だ。(経験上、断言)っていうか、そもそもミュージシャンって食欲に限らず、良くも悪くも「欲望」に忠実な人間が多すぎる気がする(これも経験上)
聴こえる音に反応して即座に的確な音を出さなければならない、反射神経が正義という世界になじみすぎると、何であれ欲望したらすかさず行動に移す「癖」がついてしまうのではないだろうか。
そういえば昔、欧州をインディーズ系ツアーで回った時、自宅の地下がライブハウスになっているオーガナイザーのイベントで、本番前に「じゃ、こちらへ」と階上のオーナー自宅ダイニングに移動した。どっさり盛られたサラダ、フルーツ、バゲット、パスタ、チーズ、パテ、ワイン。あれは最高の「弁当」だった。
当時のツアーでは、公共ホールも含めてどこでも楽屋にはこういった「単品」が転がしてあって「とりたい人は勝手にとってね」という感じだった。お仕着せの「弁当」よりお金かからないし、食べる側も好きに選べる、合理的なシステム。
さて最新の楽屋事情はどうだろうか。
(2019.5.28)