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ヲノサトル

「ファンダメンタルな楽曲分析入門」


沼野雄司さんの新刊『ファンダメンタルな楽曲分析入門』(音楽之友社)が面白い。 音楽ってどう分析するの?リズム?メロディ?コード進行?……と首をかしげている初学者に最適の、軽快なジョークが散りばめられた、薄くて読みやすい本。

たとえば、

・ハイドンもベートーヴェンもソナタ形式など学んだことはない! ・クラシック・ファン以外の人にとってドイツ歌曲が難解なのは「サビ」がないから! ・交響曲が一曲なのに何楽章もあるのは、ポピュラー音楽で言えば「アルバム」みたいな考え方! ・そもそも作曲者が作曲の時点で何を考えていたかは、本人にもわからない!」

などと、意外で明快な断定の数々が、なにしろ痛快だ。この手の理論書や専門書にありがちな、途中で投げ出したくなる難解さとは無縁で、最後まで一気に読んでしまった。 だが、見かけの軽やかさに反して、本書に示されている「分割→吟味→再統合」という三段階の分析手順は、おそらく文学にも映画にもどんな芸術にも当てはまる、まさに「ファンダメンタル(基礎的)」な思考法だ。 本書は、たとえば「ソナタ形式は、第一主題と第二主題からできています」みたいな「公式」を既成事実として紹介するのではなく、そもそもなぜ相半する二つの主題を一曲の中に設けるような音楽思考が生まれ、複雑に展開していかなければならなかったのか、楽曲の細部を観察しながら推理していく。

つまり公式の背後にある「原理」を、反復や記憶といった誰もが共感できる人間心理に基づいて、鮮やかに解明していく。 たった34小節のベートーヴェンのピアノ曲から、難解な現代音楽とされるペンデレツキのオーケストラ曲まで、本書で実際に試みられる楽曲分析の事例は、まるで推理小説のようなスリルとカタルシスに満ちている。

とはいえ、音楽であれ他の芸術であれ「作品を分析する」と聞くと、何だか冷たくて、機械的で、評論や批評や評価のような、頭でっかちな行為と思う人も多いのではないか。芸術は分析なんかしないで、理屈抜きに味わうべきだ。そう感じる人も多いのではないだろうか。

我々はなぜ作品を「分析」するべきなのか?

それは、他人事として、上から目線で、作品の価値を評価したり、批評したりするためではない。

いわば探偵となって、犯罪者(作者)の立場に身を置き、その思考をトレースすることで、犯行(創作)の瞬間をリアルに追体験するためだ。「知識」よりもずっと深く、心に刻まれる「体験」として。

その「体験」を胸に、ふたたび犯行現場(作品)を眺めた時、見えてくる景色は、当初なんとなく眺めた時とは、まったく別のものになっているにちがいない。

いや、いささか不穏当なたとえになってしまったが。

こうした理由で、何かを作ろうとする者にとって他者の作品分析はきわめて重要なのだ。また鑑賞者にとっても、分析によって作者と作品の深層にダイブすることで、鑑賞の面白さや感動は格段に深まる。つまり、いっそう面白く、楽しめるようになるということだ。 そんなふうに「分析」という行為の意義まで考えさせてくれる、確かに「ファンダメンタル」な一冊であった。

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