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ヲノサトル

ダンスの型と伝達


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Co.山田うんのダンス公演「ワンピース」「十三夜」(北九州芸術劇場)が目前に迫っている。音楽制作もいよいよ佳境。終日サウンドを制作しては夜の稽古に持参し、動きに「当て」て確認するという日が続いて、ようやく骨格が見えてきた。 今回、制作作業の手順としては、音楽を先に用意してそれに振り付けするのではなく、ダンスの論理でまず振り付けを固めてもらい、そこに後から音楽をつけていっている。 感覚としては映像にサウンドトラックをつける仕事に近い。もちろん映像と違って完全に同期させる事はできないので、前後の時間的なズレがむしろ多義的な面白さを生むように作曲する必要がある。 一方には古典バレエからストリートダンスまで、先行する曲(リズム)にダンスを後から「当て振り」する作り方もあり、それももちろん楽しい。同期の快楽。けれど今回のような作り方では、身体と音との意外な関係が偶然に出現するスリルがたまらない。別々に流れる時間が交錯するような、つかず離れずの緊張感。 あと作曲上の現実問題として、「ダンスの音楽を自由に作ってください」なんて言われると困ってしまうけど、目の前に具体的な動きや場面を見せられると頭の中にどんどん音楽が流れ出すので助かる。(これは個人的に、歌曲をつくるとき「曲先」より「詞先」の方がだんぜん作りやすいのと似てる。言葉のリズムやイントネーションが自然にメロディを引き出してくれることは多い) ところで、いつも振り付けの作業を見ていて思う。言葉に置き換えられない、記録できない部分がものすごく多いので、ダンスって伝えたり記憶したりするのが実に大変だなと。舞踊譜とか映像とか多少の補助手段はあるにしても、複数の身体がそれぞれ運動しながら空間の中を移動する時間軸の全てを記録再生するのは不可能なわけで。 ダンサーが、一度見せられた動きを即座に真似たり、すかさずそれらを組み合わせて一連の流れを演じるのを見ていると、音楽でいうスケールとかフレーズのようにパターン化された動きが、無意識の記憶として身体に入っているから可能なのだと思う。 音楽の場合も、初めて聞かされた曲を即座に真似て弾くなんてこと、たとえばポピュラー音楽のように音階や和音の「枠組み」が共有できる音楽なら、さほど難しい事ではない。音楽やってない人は「おお!」と驚くかもしれないけど。 古典バレエとか、ある種のストリートダンスにも、音楽で言うところの音階や和音のような「枠組み」が存在するので、それを共有している人どうしなら、パッと見て一連の動きを把握・記憶できるのだろう。武道でいえば「突き」や「蹴り」のような「技」が身体化されていて、相手に攻撃された瞬間、自動的に一連の攻撃がくり出せる…みたいなイメージ。だが、既成の「型」にはまらないダンスの場合そうはいくまい。 「カンパニー」という集団が有効なのはこの点だ。日頃の訓練の中で「枠組み」を共有し、「型」を蓄積しておくことで、いざ新しい事を始める時に短時間で伝えることが可能になる。 もちろん「型」や「枠組み」が形骸化し、むしろ自由を奪うものになった時は、その組織の寿命となるだろう。外から見てわからなくても「型」のヴァージョンアップが不断に続けられているのではないだろうか。カンパニーであれ古典芸能であれ、長く続いている組織というものは。

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