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ダンス音楽ブックレビュー

栄華のバロック・ダンス ― 舞踏譜に舞曲のルーツを求めて

浜中康子, 音楽之友社, 2001

 

王太子や何人かの男性は女装をし、ショールを巻き、髪型は黄色の髪でできたタワーのように高く作られた。またつけぼくろやパッチのついた黒や赤の小さな仮面をかぶって、高く蹴り上げるようなステップを踏んだり、わざとぶつかりあって突き飛ばされた伯爵が英国女王の足下に倒れこんだりすることもおこり、笑いの一幕を繰り広げた…

18世紀。カリブ海で奴隷たちがダンスに情熱を傾け、過酷な現実から束の間の逃避を果たしていた頃、ヨーロッパの宮廷では貴族たちが、感情を極力排した様式的なダンスに熱中していた。いわゆる「バロック・ダンス」である。

 

バロック・ダンスは別名「ベル・ダンス(高貴なダンス)」とも呼ばれた。大別すれば、宮廷の舞踏会で貴族たちが踊るダンスと、宮廷や劇場のステージで専門のダンサーが踊るショーの2種類がある。前者は現在の社交ダンス、後者はバレエの源流となった。

 

宮廷のダンスは「儀礼」であった。王侯貴族の結婚や誕生、戦争の勝利、海外VIPの訪問など、およそあらゆるイベントのたびに「グラン・バル(舞踏会)」が開かれた。

 

たとえば、ある結婚祝いには7~800人が出席し、ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」を会場に、専属楽団である「国王の24人のヴァイオリン」と12人のオーボエ奏者の伴奏で盛大な舞踏会が催されたという。

 

本書はこうした背景の説明に続けて、現存する「舞踏譜」を材料に様々なバロック・ダンスを紹介してくれる。舞踏譜とは、ステップやダンスの詳細を平面上の移動図として示したものだ。

 

鳴り響く「音」を保存する録音メディアのなかった時代、音楽は「譜面」として記録されていた。同じように、ダンスする身体という「映像」を保存するメディアのなかったこの時代、様々なダンスの所作は舞踏譜に記録された。

 

本書は単に学究的な研究書というだけでなく、バロック音楽や古楽の演奏に携わる者にとっては、メヌエットやガヴォットやサラバンドといった舞曲様式について、あらためてそのニュアンスをリアルに伝えてくれる実用的な文献でもあるだろう。

 

じっさい当方には、本書に描かれたバロック舞曲の数々が、化石のように古い音楽ではなく当時の超トレンディなダンス・ミュージックとして、生き生きと立ち上がってくるように思われた。

 

(2007年3月3日)

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